リスペクト公式、と言いつつBL・GL妄想上等の色々無節操なのでカオス注意。
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GX第一話のサブタイトルは「遊戯を継ぐ者」なわけですが、十代はどんな意味で遊戯を継ぐ者なのか考えてみた。

・前世が王子(前世?がファラオ)
・もう一人の自分と対決(融合前のユベルはある意味でもう一人の自分、ダークネスも「こうなったら嫌な世界」=不安=もう一人の自分)
・ラスボスがアテムというか王様というかなんというか
・王様(=遊戯)に憧れまくっている

総合するとというか最終回の結論的には、「遊戯を継ぐ者」の「遊戯」は、紙一重で表遊戯の比重が強いんだろうと思うんですよね。
GXってよくライバルが多すぎてライバルがいないって感じに言われますが、まさに「ライバルと切磋琢磨して強くなる」面より、「憧れの人を追いかけて強くなる」が優先だったんだろうなと思ったりする。
なにせ十代、カイザーはつえぇ!だし、遊戯さんサイコー!!!だし、漫画版も紅葉さん大好きだしvvvvv
遊戯はアテムを還るべき世界に送り出すために、自分の中の「離れたくない」思いと戦ったんだと思うけど、アテムは遊戯にとって理想で憧れで、それはたとえ遊戯がアテムに勝っても全然変わらなくて、十代はその遊戯がアテムに抱いてる純粋な憧れ(そしてアテムが遊戯に抱いてる憧れ)だけを継いだのかなとか。

憧れの人を越えるって意味では、翔がAIBOを継ぐ者だったりもするけどvv(※受け継がれるサイバー・ダーク・ドラゴン的な意味で)
夢は叶えるためにあって、叶えた瞬間夢は夢じゃなくなって、だから夢はある意味でいつか失わないといけないけど、憧れは憧れのまま綺麗なまま大事にしたいというか。
だから翔が憧れていた亮を越えた瞬間、視点は翔から亮になって、亮は翔に憧れを抱いて、テーマは「夢を追いかける」ことのまま変わらなくて。

GXは、第一期で十代や翔の「憧れる側」をメインに据えながら、それでも見え隠れしてた「憧れられる側」の亮や十代の視点っていうのが、二期~三期で二人の挫折っていう形で出てきて、第四期にかけて「憧れる側」と「憧れられる側」が十代⇔亮、亮⇔翔の間で逆転していって、最終的に「憧れる側の十代」で締めたわけで。
憧れで成長してほしい(劣等感に負けないでほしい)っていう願いとか、憧れる立場に甘んじてちゃいけないんだ(憧れられる仕事をしなきゃ)っていう大人の責任感とか、「十代の子どもたちに親しんでほしい」っていうのは、そういう意味だったのかなとか。
自分自身のために夢を見てほしいし、その夢は自分一人だけのものとは限らないってことを分かってほしい。大切な人の本気の夢は、自分の夢にも等しくて、だけど自分の夢ではなくて、その狭間でぶつかっちゃったりもするんだけど、そういう微妙な感じを分かってほしい。

でも最後の「憧れる側の十代」は、やっぱりスタッフの本心そのものでもあるんだろうなとか(笑)

とどのつまり、やっぱりGXは「遊戯王が本当に、何があっても、死ぬほど、大好きなんです」っていうアニメ遊戯王メインスタッフの大告白に見えます(笑)
のたうちまわって苦しみ回るぐらい好き、みたいな←
これが君の愛なんだね!(違)
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