リスペクト公式、と言いつつBL・GL妄想上等の色々無節操なのでカオス注意。
Admin | Write

「ヘルカイザー」の考え方って、「弱さは罪」みたいな、少年漫画の悪役には比較的オーソドックスな考え方ではあるんですが、決定的に違うのは、誰よりその罪を背負ってるのが自分だと思ってて、だからこそ強くなりたいと願ってるところで。
「アンチリスペクト」でデュエルするときは相手にもその考え方を強制しようとしてはいるんだけど、VS翔では翔はその強制に抵抗しきって、デュエルには負けても、「価値観の闘い」のほうでは、とうとう呑み込まれずにしのぎ切った。つまり亮と翔のデュエルは、どちらも考え方を変えることは無かったわけで、「ヘルカイザー」としては「亮の勝利」でも、多分「亮」としては「引き分け」だったんじゃないかと思います。
亮VS翔で、翔が知ったのは「リスペクトデュエルの限界」で、それは吹雪がVS藤原で見せた心の闇=絶望と凄く似てて、つまり、「相手が大切だからこそ、相手の遺志を尊重しようとしたら、相手が選んだ道が破滅への道であっても止められなくなってしまう=相手を守れなくなる」というジレンマなんですね。

亮は「自分は弱い」という罪悪感をずっと感じてて、勝利の瞬間だけがその罪悪感から逃れられる唯一の瞬間で、亮が自分で言った「ヘルカイザーとなって地獄をさまよい!」って言った時の「地獄」っていうのは、そういう自己否定感のことだったんだと思うのですが。
翔のリスペクトデュエルでは、その亮を救うことはできなかった。何故なら、亮を責めているのは亮自身で、リスペクトデュエルが「相手」を尊重してしまう以上、「亮を責めている亮」も否定できなくなってしまうから。
そして亮は、勝利の瞬間だけは「自分を責める自分」を打ち消すことができた。
だけどそれは、罪の「(瞬間的な)許し」ではあるのですが、亮の「(永続的な)救い」ではありません。そして、本気の十代と戦ったことのある亮は、頭では分かっていたはずなんです。「ヘルカイザー」とは違う考え方、「(全力を尽くして楽しめれば)勝ち負けは関係ない」という価値観が存在していること、自分を本当に「救う」ことができるのは、その価値観だろうということは。「今この瞬間を輝かせたい、そんな心境に達することができた」っていうのは、そういう境地があることを知っていたし、そこに行きたいと願っていた、という意味に取れるので。

で、こう言うとじゃあ十代とデュエルすれば~と思いがちなのですが、実はそういうわけにもいかない。

何故なら、亮が勝つのでは「ヘルカイザー」やその価値観に傷一つ付けられないし、単に亮が負けただけでは、「弱さは罪」という「亮を責める亮」が全開になるだけであって、それは言いかえれば、「ヘルカイザー」が完全に「亮」を呑みこむことだからです。
だからこそ亮がいたのは真実「地獄」です。亮は、「ヘルカイザー」に負けるわけにはいかなかった。自分の価値を全否定して、生きる屍になりたくはなかった。亮が「強さ」を求めたのは、「ヘルカイザー」の目的を達成するための手段であると同時に、「亮」の自己否定との闘いでもあった。
そして勝利を重ね、少しずつ強くなっていくことで、「デュエリスト」としての「亮」の傷は、自己否定の痛みは、おそらく癒されていったのだと思います。けれどそれは、「人間」としての「亮」が、傷ついていく道のりでもあった。

亮が身に付けた強さによって、自己否定感(罪悪感)がゼロに近づき、またそのために傷ついた体によって未来が閉ざされるとき、ようやくチャンスを掴むための条件がそろいます。

自分を癒してきた「勝つためのデュエル」を、亮に否定する理由はありません。けれど結果である「勝利」は、もう意味をなしません。そのとき初めて、亮が身に付けた「強さ」は、「勝利」のためではなく、ただ「デュエル」のために発動できるようになります。それは亮が、「(自己否定を打ち消すために)相手を否定・拒絶するためのデュエル」=「アンチリスペクト」=「悪」を、完全に克服することです。
そしてその無風状態(この時点では「悪ではなくなった」だけで、まだ「正義」ではありません)に、「自分を見失った十代」というファクターが絡むことで、十代が言っていた「全力を尽くせば勝ち負けは関係ない」という価値観が、「勝つためのデュエル」をしているはずの亮にとっても価値あるものへと変化します。
その価値観は、「勝つためのデュエル」にとっては「失敗」である「敗北」を「無かったこと」にするものであり、「亮」を「救う」ものである、という事実が、「十代が見失った自分自身」を肯定するもの、もっと単純に、「十代を肯定するもの」になるからです。
…ややこしくてすみませんorz

3期の十代もまた、亮と同じように自己否定の中にいます。けれど亮と違うのは、自己否定のきっかけと仲間に罵倒されたタイミングが近すぎたせいで、「自己否定」と「他者からの否定」を混同してしまったことです。誰より十代を否定しているのは十代自身なのに、その否定に対抗するための答えを、自分自身ではなく、消えてしまった人々に求めてしまったことです。だから亮はキレた。「お前を許していない人間の中にはお前自身も含まれているのに、お前がお前を許す方法を考えないのは無責任だ」と。まぁ、これはキレた理由の半分で、命を投げ出そうとしていることにもムカついたんだと思いますけど(笑)
そして、亮のデュエルで自分自身の在り方を肯定された=思い出したことで、あるいはまた、亮が(十代と同じように)自己否定の苦しみの中でもがき、救われるために懸命にあがいていたことを知ったことで、十代は自分の中にあった「仲間(ヨハン)を助けたい」という願い自体が、自己否定に立ち向かう道であること、そして仲間たちに応援してもらったその願いは、自分が自分を許すための道であると同時に、仲間たちに許しを請う方法(他人なので、「請う」以上のことはできません)だということにまで思いいたります。

亮が「弱い自分を許せない」気持ちというのは、「デュエル」で考えているだけでは分かりにくいかもしれません。けれどそれは、例えば画力がなくて思い通りの絵が描けないとか、思っていることをうまく言葉で表せないとか、そういう悔しさの究極形です。
だから多分、一度でも「上達したい」「何かを作り上げたい・成し遂げたい」と思ったことがある人なら、亮の気持ちっていうのは、けっこう誰にでも分かる気持ちなんじゃないかなーと思います。
そして亮は、そういう「夢に向かってがんばる人」に、最終的にはすごく優しい人だよなぁと、思ったり。

Comment form
Name
Title
Comment
Password   Vodafone絵文字 i-mode絵文字 Ezweb絵文字
  管理人のみ閲覧可能にする
ブログ内検索
カレンダー
05 2025/06 07
S M T W T F S
1 2 3 4 5 6 7
8 9 10 11 12 13 14
15 16 17 18 19 20 21
22 23 24 25 26 27 28
29 30
最新コメント
[04/25 藍維那]
アクセス解析
pixivID:1412017
K玲(仮名)のハンドルで主にヴァンガードSSを投稿しています。日記に載せたのを後日修正転載が基本。
pixivからこのサイトにはリンク等を貼っていません。あんな大手SNSからこんなコアなサイトに直接飛べるようにする勇気無いです\(^o^)/
あと最近転載しているTwitterはpixivのプロフから飛べます。非公開中です。なんでそんなめんどくさいことしてるんだなんて聞かないであげてください。コミュニティごとに人格切り替えないとパニックになるタイプなんだよ!!(明らかに最初にpixivとHP切り離したのが敗因)

Designed by